私が「ラクイラ」という街を知ったとき、移住を決めた。
私はどうして、この街を知ることになったのか。
そして、あるサイトをきっかけにラクイラに一目惚れし、移住を決意。
いったいどうしてhonokaはラクイラを知ることになり、移住を決めたのか?
もくじ
やはり私もきっかけは「地震」だった
何を隠そう、自称イタリア偏愛者の私でも、地震があるまでラクイラのことを知りませんでした。
ただ、その地震はラクイラ地震ではありません。2016年のイタリア中部地震です。ラクイラ地震の当時は持病により入院中でした。
当時のニュースを聞くと、東日本大震災の記憶が蘇りました。灯りのない不安な夜、断水が続いた日々、そして何よりも、程度は違えど、「被災した」ということの苦しさや痛み…。
画面の向こうで見えた青い空を、私は忘れることができないと思います。
そして私は、「イタリア語を学ぼう!」と、その日決めました。青い空に誓いました。「必ずそこにいって、あなたを助けるから」と。
ですが、この時はラクイラのことは知りませんでした。後日インターネットで検索して、ラクイラという街を恐ろしい地震が襲ったことを知ったのです。
この時はただ「ラクイラ=地震の被災地」という認識しかなく、まさかある日に私がここに移住を決めようとは、思ってもいなかったのです。
移住を決めたあるウェブサイト
ある日、私はいつものようにインターネットを見ていました。
そしてたまたま、あるウェブサイトにたどり着いたのです。
イタリア語のこのサイトを見たことにより、以前インターネットで見たラクイラという街を、改めて知ることになったのです。
このサイトはラクイラ大学のもので、地震で学生寮が倒壊するなどして亡くなった方を悼むサイトです。
このとき私は決めました。
「ここの大学で、心理学を勉強したい!」「傷ついた人々の役に立ちたい!」と。
このサイトを見たことで、私の運命の歯車は、動き出したのです。
イタリアには、「防災」の概念がないから
私はインターネットで、産経新聞(イタリアの地震に関して一番丁寧に取材している新聞社)のこの記事を読みました。
「イタリアに防災文化ない」地震多発国に重い課題 耐震化進まず、歴史的建造物保全と両立も - ZAKZAK
これをきっかけに、イタリアに移住しNPOを作るという目標ができました。それはまた次回。