ある人の死が、私の心を動かした。
ある日突然私の人生がこんなにも変わるなんて、思いもしていなかった。
私が名前も顔も知らなかった人の死に心を動かされて、だからこそ私は今ここにいる。
私はその女性のことを「彼女」と呼ぶことにしている。なぜならその女性(たとえ不幸にしてなくなってしまったとしても)にはプライバシーがあるからだ。
なんで彼女が、と思う日々
それはある暑い夏の日だった。私がいつものようにニュースを見ていると、彼女の住む街(以下P市とする)についてのニュースが流れてきた。
P市は災害で完全に破壊され、人口130人あまりの小さな村はもう、「ここにP市があった」とは誰も思えず、戦争の廃墟のようだった。
そしてP市を襲った災害から数日後、私が「彼女」と呼ぶある女性の死についてのニュースが流れてきた。
彼女が死んだ?
彼女はまだ学生で、大切な家族に囲まれ、そして何よりも…
詳しくはプライバシーになるので書かないが、「塩狩峠」のような生き方をした人だった。自分の命を犠牲にしてでも大切な人を守り抜いた、そんな女性が亡くなっていいはずがない!
私は「神様」への(※私はクリスチャンなのでもちろん神を信じているのだが)怒りと行き場のない思いを、その後数年間に渡り抱えることになる。
やがて世の中への懐疑とつながる私の思い
人生とはなんだろうか、私が思うにそれは本当に意味のわからないものであると思う。
なぜ私のような人間が生きていて、なぜ彼女のような人間が死ななければならないのか。しかも、何時間も苦しんだ上に。
なんて悲しい世界だろう、なぜこんなことが起きてしまうのだろう、なぜ彼女の親しい人は彼女を失わなければならなかったのだろう…。
考えれば考えるほどわからなくなっていったが、ひとつだけわかるのは、世の中など悲しいことがたくさんあふれていて、それはもはや単純な綺麗事で片付けられるものなどではないのである。
人生とは本当に理不尽なもので、悲しいもので、、ああ、、、私達はなぜ行きているのだろう、なぜこの心臓は動いているのだろう、彼女のそれはもう動かないにも関わらず、、、、涙が出てくる。
彼女のことを思い何度涙を流したことだろう。私には数え切れない。そしてそれは、ご両親や彼女が守り抜いた大切な人にも、何十倍もその重荷はのしかかっているのであるということくらい、私は知っているのだが、、、ああ、なんて悲しい世界だろう!なんて悲しい人生だろう!
それは私の生きる意味となった
私が防災について興味をもったのも、心理学に関心を示したのも、すべて彼女の影響である。
彼女のような悲しい犠牲者は、P市を襲ったその災害で、約300人を数える。
そのような悲しい犠牲者を私達は決して、出してはならないのだと、私のような思いを誰にもしてほしくないのだと、それを彼女は私に、いまなおどこかで、語りかけているのかもしれない。