ラクイラ日和

イタリアの大学に入学したいhonokaが書く、大学入試やイタリア、イタリア語、地震関係のブログ

人生の絶望を受け入れて、悲嘆の海で生きるということ

私が思うに、生きかたというのは2通りに大別できると思う。人生は悲しいものという認識を、どう捉えるかだ。その認識から逃げるか、それを受け入れるかだ。

私は、こんなに悲しい時代だからこそ、悲しいという感情から逃げないという生きかたをしている。意外と、悲しみは受け入れてしまえば怖くないものだからだ。

悲しみから逃げることはできないし、悲しみを避けることはできない。なら、悲しいときに悲しいと思い、生きたほうが、嬉しいことが倍になって帰ってくるのではないだろうか?

また、悲しいときに悲しい音楽を聞くと、その歌詞がよくわかる、心に沁みるとはよく聞く話だが、それは全くそのとおりで、なぜなら悲しいときほど共感者を必要とすることが人生だからだ。